記憶と記憶の境目

極稀に現れます。SSRくらいです。

君たちは春一番みたいだった

エフフォーリアが引退する。

あまりにも急だ。

最後のレースとなってしまった先日の京都記念競走中止の理由は心房細動、治療しなくても治る、人間で言えば不整脈のようなものだ。

そこからまた復活して勝った馬をたくさん知っているし(例えば昨年凱旋門賞に挑んだステイフーリッシュもそうだ)、見届けてきたから、きっと次はある、まだ春は始まってすらいないのだからとぐるぐると湧き上がってくるマイナスの思考をかき消すようにそう考えていた。

数年前に好きだった馬がターフを去り、寂しさでなんとなく彼(便宜上そう表記しておく)がいないということを受け止めたくないあまり、競馬を見るにしてもぼんやりと見ていた。

アーモンドアイ、デアリングタクトやコントレイルのことも応援していたけれど、どこか上の空で見ていて、すごいのは受け止めていたけれどそこに彼がまだいたら、と考えることが何度かあった。

菜七子フィーバーも過ぎ去り、コロナも無かった頃はとりあえずやってきた海外ジョッキーや武豊、福永etc.のトップジョッキーを買えばいいだろう、みたいな空気が少しだけ寂しかったのもあるのかもしれない。

そんな中、白毛のGⅠ馬のソダシが現れたり、アプリのウマ娘がリリースされたりして、競馬の注目度が上がったような気がする。マルゼンスキーを演じている声優さんが縁の血統の馬券を射止めたことも関係あるかもしれない。

私は、ソダシが勝った阪神ジュベナイルフィリーズではサトノレイナスを応援していた。アーモンドアイを排出した国枝厩舎のトレードマークである白いシャドーロールを身に着けていた鹿毛ディープインパクト産駒の彼女は、豪快な末脚で競馬をぼんやりと見ていた私の興味を一心に引き付けていた。結果は2着だったけれど、次の春がまた楽しみになる、そんなレースだった。

4月、桜花賞はソダシが勝った。無敗の白毛桜花賞馬だ。その強さに金子オーナーは持っているなあと関心しきりだったのは覚えている。

次の週、クラシック三冠レースの初戦である皐月賞を見た時、衝撃を受けた。まだ年若い、私の弟よりも年下である横山武史ジョッキーがエフフォーリアの背に乗ってゴール板を突き抜けたとき、きっと見たかったのはこれだったんだ!と確信した。それから目の前が一気に鮮やかになった。無敗の皐月賞馬、次は日本ダービーだ!戦後最年少のダービージョッキーが生まれるかもしれない、世間もネットもにわかに騒ぎ出していた。そしてオークスではなく日本ダービーにサトノレイナスが参戦するとニュースが出て、私はもう胸騒ぎが激しかった。どっちを応援したらいいんだろう!こんな高揚に包まれてダービーを見るのはいつぶりだっただろうか。仕事で見れないことをすっかり忘れていた。

オークスはユーバーレーベンが勝利した。ゴールドシップにとって初めての産駒のGⅠ勝利であり、直前にこの血が活躍すると願っていた岡田総帥が亡くなったこともあり、特別な勝利だったに違いない。

ダービーの日、職場から帰ってくるとエフフォーリアは負けていた。わずか数センチ差の敗北だ。菊花賞に行くのだろうか?それとも……色々なことを考えながら夏を過ごした。宝塚記念はクロノジェネシスが連覇、次は凱旋門賞と決まっていた。父は凱旋門賞馬であるバゴ、血統的にも申し分ない最強牝馬の参戦だ。その背に乗るのが北村騎手でないことだけが寂しかった。

夏も終わろうとする頃、ドゥラメンテが亡くなったニュースが流れてきた。まだまだ父として未知の可能性をたくさん残して、彼はあっという間に世界からも去ってしまった。休憩時間に一人声を押し殺して泣いた。まだ早いよ、早すぎるよ、と何度も唱えた。今でも彼の血が活躍するたびにひょっこり帰ってこないかな、と呟いてしまう。

そして秋が来た。九州産馬のヨカヨカが事故で競走能力喪失の報があった。スプリンターズステークス直前のことだった。レースはピクシーナイトが勝利した。グラスワンダーは直系産駒4代勝利、そしてインタビューで福永騎手は母の父であるキングヘイローへの言葉を紡いでいた。ウマ娘ファンにとっても印象的な勝利だ。

秋華賞三冠馬ディープインパクト、三冠牝馬アパパネの血を引くお嬢様のアカイトリノムスメが勝利して、牝馬三冠は3頭が分け合う形で終わった。私の好きなサトノレイナスは、ダービーのあとに骨折が発覚してそこにはいなかった。もし無事でいたらどんなレースをしてくれただろうかと未だに夢を見る。それくらい彼女にはたくさんの夢を見ていて、大好きな牝馬だった。

菊花賞ドゥラメンテ産駒であるタイトルホルダーが、横山武史騎手を背に勝った。父横山典弘騎手がかつて乗っていたセイウンスカイを彷彿とさせるような逃げを仁川の地で見せて、父が得ることのできなかったタイトルを、産駒として初めてのGⅠタイトルを掴み取った。結果的に皐月賞をエフフォーリア、ダービーをシャフリヤール、そして菊花賞をタイトルホルダーが分け合う形で三冠レースは終えた。

天皇賞秋、グランアレグリアとコントレイル、エフフォーリアの「三強対決」はエフフォーリアの勝利だった。横山武史騎手はかねてよりこのレースを勝ちたいレースと言っていた。それを相棒と称してもいいエフフォーリアで叶えたのだから感無量であっただろう。私もラジオで聞いて飛び上がった。すごい馬と出会ってしまった!そんな気持ちでいっぱいだった。

コントレイルはそのあとジャパンカップで有終の美を飾った。三冠馬として背負ってきたプレッシャーは相当のものだっただろう。ましてやディープインパクトがこの世にもういなかったのだから後継として無事に帰らなければいけない。福永騎手も雄叫びを上げ、涙をこぼしていた。いつまで泣くんだよ祐一、と画面を見ながら私も泣いていた。

有馬記念凱旋門賞には敗れてしまったクロノジェネシスとディープボンドが来ることが決まっていた。クロノジェネシスにとっては引退レースだ。これを勝てば前人未到のグランプリレースを4回制覇した牝馬となる。グラスワンダーゴールドシップもできなかったことだ。タイトルホルダーは武史騎手の兄である和生騎手に手綱が渡った。このとき根も葉もない噂が流れてきたが、彼たちの兄弟仲の良さは知っていたし、つまらない憶測で騎手や馬を貶めるのだから信用を落とすのだとそのメディアを見れないように設定した。和生騎手はたしかに当時は父や弟と比べ実績では敵わないかもしれないが、その年の函館記念を勝利していたし、勝利数でもキャリアハイを記録していた。弟が託すに値すると見込んだからこその乗り替わりだ。彼は大外枠を引いたのに自信たっぷりに話していたのを記憶している、家で馬券を握りしめながらテレビにかじりつく。クロノジェネシスはふわふわと生えていた冬毛から察するにもうピークをとうに過ぎていたに違いないが、堂々とした走りで3着で現役を終えた。2着にはディープボンド、1着はエフフォーリアだった。父の父であるシンボリクリスエスを彷彿とさせるような、そんな強さと衝撃だった。来年の主役も間違いなくこのコンビだと思っていた。

武史騎手は有馬記念前日、エフフォーリアの弟で油断騎乗の制裁をもらってしまっていた。新馬戦というのは得てして騎手の想像以上に上手くいかないものである。馬たちがまだレースをするということを理解していなかったりすることが多いからだ。それはゲートで暴れたり、スタートで騎手を振り落としてしまったり、途中でレースをやめてしまったり……それは騎手の責任として現れることとなる。

インタビューに現れた彼は、ひどく思い詰めたような、そんな顔で最初に謝罪を口にした。春の彼と勝った喜びを爆発させるようなインタビューではなかった。そんな顔をしないでくれと思った人も多かったはずだ。

結局この有馬記念がエフフォーリアの最後の勝利になってしまった。それでもずっと応援していたし、いつか復活してくれると待っていた。いつかまたインタビューで笑いながら少し厳しいことを言う武史騎手を見たかったし、余計なことを言うネットの声なんかより、向き合ってきた陣営の判断を応援しようと見守っていた。

去年の有馬記念を経て、京都記念がそうなると信じて待っていた。テレビ越しでもエフフォーリアの馬体は輝いて見えていたし、武史騎手もそんな自信を噛み締めているようだった。3歳の春のように勢いよく番手に上がる彼の姿を見た時、勝利を感じ取っていた自分がいた。だが競馬の神様というのは残酷で、彼はそのまま競走中止となった。降りた瞬間はゴールまであと数メートルだった。しばらくして心房細動との診断が出た。

彼を無理に動かすのをやめた武史騎手の判断は、きっとエフフォーリアの将来にとっていつか最大のターニングポイントになってくれると信じている。武史騎手の憧れであるクリスチャン・デムーロ騎手と同じワインレッドの鞍を、きっと彼にとって大切に違いないそれを馬場に勢いよく投げ捨ててまでエフフォーリアの身を案じたその決断が、彼にとって後悔とならないことを強く願っている。

そして今はまだターフを去ることを飲み込めていないけれど、エフフォーリアの血を引いた馬で、武史騎手がダービーを勝ち、歓喜の涙を流してくれる時を待てる自分になろう。

本当に武史騎手とエフフォーリアのコンビはびゅうっと吹く春一番みたいだった。強烈なのに、あっという間すぎた。レースを見ていた時の強さも、楽しさも、悔しさも、抱いた期待も絶対に忘れないと思う。

 

余談だが、私が競馬を見る影響となった父はテイエムオペラオー和田竜二騎手のコンビが競馬を始めるきっかけだった。奇しくも若い騎手を乗せ最後まで一緒に苦難を共にした皐月賞馬のコンビだ。案外血というのは争えないものかもしれない。